福心舘
大震災の影響で稽古場を失ったのをきっかけに、一人の愛好家が道場建築を決意した。
床材の専門家と出会って理想の床を追求し、所属やレベルを問わず
あらゆる層の剣士が訪れる、理想の道場ができあがった。
スキージャーナル社・剣道日本 2012年2月号
10月11日、栃木県栃木市に竣工した福心舘の道場開きが行なわれた。道場主は歯科医院を開業している福富宏さんである。靴屋の倉庫だった建物を改装した道場には、無垢の杉を使った床板が敷かれている。「稽古にくる皆さんは長く剣道をしているので、この床の良さが分かるんですよね。素晴らしいって言ってくれています」と話す福富さんは50代だが、剣道を始めたのは7年ほど前。
剣道歴が浅いにもかかわらず道場を開くことになった経緯は後述するが、もちろん道場建築についての知識もほとんどなかった。調べていくうちに剣道場の命はその床の造りにあることを知るが、同時にいったいどの材質で、どのような工法で、どのくらいの費用でできるのだろうかとさまざまな疑問が出てきた。
その疑問を解決してくれる人をインターネットで見つけた。株式会社五感を経営する前田英樹さんである。五感は住宅用のフローリング用の無垢材とともに剣道場の床板となる無垢材を取り扱う会社。自らも剣道をしている前田さんは剣道場については床材を供給するだけでなく施工・技術指導まで行なっており、福心舘は前田さんが地元の施工業者を指導する形で建てられた。
無垢材とは、一本の原木から角材や板を直接必要な寸法に切り出したもの。それに対して、木片や薄い板を集め接着剤で貼り付けた集成材、合板などがある。剣道場では古くから一般に無垢材が使われてきたが、体育館などは集成材にウレタン塗装をするのが一般的。 現在は剣道場でも体育館と同じ仕様になっている例は多いが、前田さんは剣道場には無垢材で塗装をしない床板が最も適していると断言する。
「そもそもクッションのついたシューズを履くことが前提の体育館と、素足で行なう剣道場ではまったく性格が異なります。全国の多くの剣道場で稽古をさせていただきながら調査し、いろいろな方々に教えていただいた結果として、そういう結論になりました。福岡県立大学の池田孝博先生の研究(80ページ0参照)でも、無垢、無塗装の床の方が傷害や故障が発生しにくいというデータが出ています」(前田さん)
東京・新木場に本社を置く前田さんだが、何度も栃木まで足を運び、福富さんや、道場の指導者である荒井一美さん(教士七段)と打ち合わせを重ねた。「この床板が運ばれてきたとき、前田さんのリクエストで一枚ずつ梱包されていたんですよ。施工された大工さんも一生の記念になると言っていました。いい踏み込みをすればいい音がするし、いい反響もします。稽古に来る人たちが、この床で稽古すると姿勢が良くなった気がするとか、構えがよくなった気がすると言います。 また、指導者としてはケガをさせたくないわけですが、みんなが滑りません、痛くないですと言います。そういう意味で理想的な床ですね」(荒井さん)
震災復興のために道場建築を決意
「震災の影響で、それまで使わせていただいていた小山中学校の誠心館という建物が、節電のために9月いっぱいで使えないことになったのです。その話が出るまで、道場を作ろうなどと考えたことはまったくありませんでした」(福富さん)
平成16年10月に小山中学校の「親子剣道」が発足し、福富さんと妻の千鶴さんは揃って剣道を始めた。 小山中学校に入学した長男の快さんがやりたいと言い出すまでは、まったく剣道と縁のない一家で、最初はあんなきつそうな部は…… と家族で反対したほどだったという。小山中学校の快さんの一つ上の学年は、県予選を勝ち抜いて関東大会に進んだ。
大変な熱意をもってそれを応援していた親たちが、「親子剣道」発足のきっかけとなる。子どもたちが3年生の夏に引退した後、親たちには喪失感が強く、剣道への想いが断ち切れない中で、それなら自分たちも剣道をしようという話が持ち上がったのである。
そして、快さんと同級生だった荒井奈津美さんの父である荒井一美さんに指導をお願いすることになった。 荒井さんは下野市にある道場・養心館の館長。高野佐三郎の門弟で養心館創立者である岩瀬鉾太郎(故人・範士八段)の孫で、白ラ搗学の剣道部師範も務めるなど多忙だったが、唯一空いている月曜日ならということで快諾してくれた。そしてすべての親が集められ「親子剣道」が始まる。
少し時間が経つと半数ぐらいの親は来なくなったが、代わりに、以前中学校で教えていた当時の荒井さんの教え子をはじめ、さまざまな剣士が加わる。剣道をやってみたいという人、久しぶりに再開したいという人、他の道場や学校の生徒などなど。道場や派閥にとらわれず誰でも参加できる会として続いていった。
初心者として始めた親の中で、最も剣道にはまったのが福富さん夫妻だったようだ。とくに千鶴さんはそれまで更年期で体調がすぐれなかったのが、剣道を始めたことで治ってしまったという。
「私の場合は剣道をすることで、ものすごく元気になったんです。あんまり元気になったので、主人が仕事で自分はまだ行けない日も、(歯科医院で共に働いている)私には先にあがって行っていいよ、と言ってくれるようになったんです」(千鶴さん)
当初は1年か2年だと思っていた活動が7年目を迎えた平成23年3月11日、日本を大きく変える大震災が起こる。そして「親子剣道」もその余波を受けた。
「震災の影響で稽古ができる場を失うことになり、このままではこの剣道グループがちりぢりになってしまうという状況の中で、私の中に私設剣道場を作るという気持ちがわき上がったのです。もともと自分の人生の中でいつか地域貢献をしたいという想いがありましたので、今だ、と直感で思ったのです」(福富さん)
元気になった千鶴さんが、震災のあと1カ月稽古をしなかっただけで、再び体調を崩してしまったことも、福富さんに道場建築を急がせた。
道場となった建物は所有者が80歳を超えて靴屋を廃業するので、隣になった縁で買わないかと福富さんに持ちかけ、福富さんは特に目的もなく購入して所有していた物件だった。広さは充分で、一部は運送会社の事務所として貸しているほどだが、フロアには四本の柱も立っているなど、道場に最適とはいえない建物である。しかし荒井さんに相談した結果、充分道場が作れるという結論に達した。
「いつでも開放しておける私設道場にまさるものはないですよね。福富先生には『道場を作るなら、いい床にしましょう,ケガをさせないような、剣道は痛くて嫌だと言わせないような床作り、道場作りをしましょう、私も協力しますから』とお話ししました」(荒井さん)
福富さんと荒井さんが道場作りの専門家を探して、前田さんに出会ったのは5月だった。8月に着工し、2カ月半で竣工。 「材料を集めるのが大変なだけで施工自体はそんなに難しいものではない」と前田さんは言う。
福富さんには、とにかく急いで作りたい、10年持てばいいという想いがあったので、前田さんもそれに応えて、できるだけ 手間のかからない工法で建てたという。もちろん10年でつぶれるような普請ではないが。
テーピングもサポーターも不要
福心舘は、蔵の町として知られる栃木市の中心部から小山市に向かって幹線道路を走り、市街地をややはずれて一本入ったあたりにある。卸売りセンターが向かいにあり、周囲は倉庫が多く大きな音を出しても問題ない。 稽古は小山中学校で行なっていた時と同じく週1回、月曜日。取材日は、道場ができて5回目の稽古日だった。小山中学校や栃木市の東陽中学校の生徒、もっと小さな子どもや、小山市の名門道場である練兵館のメンバー、那須塩原から来ているという68歳の剣士までメンバーはバラエティに富んでいる。
福富さんから前田さんに贈られた「感謝状」の中で、初めて稽古をした日の感想がいくつか紹介されていた。
「僕は、床があたたかくて、やわらかくて、楽しくて、幸せです」(小学2年生・男子)
「こんな経験は、はじめてです。足が痛くなくて楽しくて幸せです」(中学2年生・女子)
「柔らかくて、これならば80歳になってもやれる、ありがたい。材木屋さんにお礼をいってほしい」(67歳の老剣士)
取材日の稽古に来ていた人たちも、異口同音に、床の柔らかさを称賛していた。
「今回が二回目ですが、普段稽古している学校の稽古場は、教室の床を張り替えたところで、稽古をすると(足が)痛くなります。でもここは踏み込んでも弾む感じでやりやすいです。普段からこういう道場でやりたいです」(古川亨輔くん・東陽中2年)
荒井さんが館長をつとめる養心館は、昭和38年に建てられたが、岩瀬鉾太郎が日光東照宮の額賀大興宮司と親交があったため、日光の御神木である杉を床板に使用しているという。 「前田さんには養心館も見ていただきました。学生時代、体育館で稽古をしていたら足が痛くなりましたが、地元に戻って養心館でやるとその痛みが消えるんです。そんな道場を作りたかった。私が指導している白ラ搗蜉wも、武道場とはいえ体育館の床なので、学生たちもテーピングやサポーターをしています。でもここでは皆さんが逆にサポーターをはずします」(荒井さん)
これまでは週に一度だけの稽古だったが、木曜日に東陽中学校の稽古に使用することが決まるなど、福心舘は今後もっと広く活用されていきそうだ。「親子剣道」はどんな剣士でも歓迎するので、多くの人に来て欲しいと福富さんは言う。道場の新築、改修を考えている剣士は、機会があれば防具を持って足を運び、その床の感触を味わってみてはいかがだろうか。